楽園を与える者

世界は美しいものなんだな」と感じてくれる映画を作りたい――宮崎駿監督、映画哲学を語る(後編)

結局「楽園というものは自分の幼年時代にしかない、幼年時代の記憶の中にだけあるんだ」ということが分かりました。親の庇護(ひご)を受け、多くの問題を知らないわずか数年の間だけれども、その時期だけが楽園になると思うようになるのではないでしょうか。

この10数年、落ち込む度に求めてきたことの回答。

奇しくもこの記事を見る1週間ほど前に、自力で同じ結論に辿りついていたのでこれが正解なのだな、と確信した。

つまり、「世界全てが輝いて見えて、世の中にはまだ知らない、素晴らしいことが沢山あると思えた、温かな時代、あの楽園」には私達はどうあっても戻れないと。それが「現実に生きる」と言うことなのだと。

この結論が出た時から気になっているのは、私の娘達が将来、私の庇護の元にいる「今」を思い出してそれを「楽園」と思ってくれるかどうか、そしてまた、彼女達は何時まで私の庇護の元に居てくれるだろうか、ということ。


勝手なものだ。自分は一刻も早く父母の元から自立・独立したいと願っていたのに、今では逆のことを娘達に求めている。親とはこういうものか。