You are a luddite.

iPad、グーグル、ツイッターでヒトは本当に馬鹿になりつつあるのか
〜米国の著名テクノロジー思想家ニコラス・カーが語る“ネット脳”の恐ろしさ

私はこのヒトの一般的な評価を知らない。だから、この記事を読んだだけの感想を述べる。
このヒトの説はまず結論ありきで語られていて、その為に重要な事実のいくつかを…意図的かどうかはともかく…見逃している、と言うことだ。
確かに、ネットやiPadを使って、漫然とその情報を目で追うだけで満足しているならばその通りだろう。だが、殆どのヒトは読みながら思考をしているハズだ。

また、

新聞をぺらぺらめくって読むときほど、オンラインではまじめに読んでいないことに気付いた。フィルター機能を使ったり、検索エンジンを使ったりすることに頼っているからだ。実際、印刷したものを読むことに比べると、オンラインで読む方が、視界を狭くしていることがある。

この件については根本的に間違っている。
オンラインの場合、私たちは記事を読みつつ検索エンジンを使うことで、以前よりもニュースの深部を知ることが可能になり、場合によってはニュースそれ自体がマスコミによる偏向報道であることが見抜けるようになってきた。真面目に読んでいないのではなく、読むべきモノが増えた為に記事を読むのに100の力を使っていないだけで、以前よりも遥かに視界は広まっている。

何よりも、この人物は、ネットやPCを創作の道具として使っている人々を完全に失念している*1。記事や小説を書くのに検索を使うヒトはどうなのか。ネットは人々に広い視野と大量の情報を与え、一方でその情報が正しいのか、受け入れていいモノなのか、と言うことを見分ける「情報を吟味する能力」を要求し、その見返りとして、更に質の良い創作を行う為の手助けをしてくれる。

彼が言っているのは、最初に述べたソファーに座って漫然とiPadなどでネットをブラウズしている様な人々であり…だが、それは、「今はこうしていたい」というその状況を選択した人々だ。皆が皆、常にその状況にあるわけではなく、また、ヒトによってはその状態でも十分に「情報を吟味する能力」を活用して脳を活かして活動しているのかも知れない。

彼は、「以前とは違う行動を取っている自分」を発見したのはいいのだけれど、その新しい自分を受け入れるのを拒否しているように見える。

なるほど、「他の情報に気を取られず、落ち着いて」読める紙メディアはいいモノだ*2。ネットを使って、同時並行的に沢山の情報を得て、それを吟味するような行為をずっと続けているのは私でも辛い。だが、だからと言ってそれ=ネットを否定することにはならない。
私たちは「悪いモノ」を手に入れたのでなく、「新しいモノ」と「新しいやり方」を手に入れたのだ。それが疲れる、それについていけないからと言って否定する、と言うのはそれこそ狭量と言うものだ。

結局、彼は根元の部分で新しいモノを受け入れられない、ラッダイトなのだと感じた。


ちなみに、

日本語の表記法には、ひらがな、カタカナ、漢字の3つの文字があるが、コンピュータで書くようになってから、日本人は漢字を忘れる傾向にある。

良く言われるが、それは文字に限らない。人間、使わない能力は忘れてしまうものだ。それはコンピュータが悪いのではなく、普段から忘れないようにしよう、と言う個々人の心がけが足りないのが悪い。

悪いことの原因をテクロノジに求めるのは本当に短絡的すぎる。一時流行った似非科学ゲーム脳などと根本的な部分は何も変わらない。道具は所詮道具。使い方、使う際の心がけ次第でどうにでもなる。この話は本当に愚かだと思う。

*1:そも、私はネットやPCは創作の道具だと思っている

*2:私の実家は書店だったので紙の本の方が好きだ