時代と共に変わるゲームとコミュニティの位置

ネタ元:また君か。さん
ゲームプレイの豊かさとハード販売台数

  • 非ネットワーク時代において、一般的には、販売台数はソーシャルメディアごしに間接作用する要素だった。ハードが何万台売れようが、結局ゲームそれ自体を遊んでいるときつながる人間関係は、マルチタップでつながっている最大数人程度で、それ以上ではなかった。広いつながりを持つのは、むしろゲームを遊んでいない時間のほうだ。教室でゲームの攻略情報を交換したり、新作の話題で盛り上がったり。
  • (ネットワーク時代について)非ネットワーク時代からの大きな転換は、「これまではゲームを遊んでないときにつながる人数のほうが多かったが(非ネットワーク環境ではモニタの手前側がグローバル)、これからはゲームをあそんでいるときにつながる人数のほうが多くなる(ネットワーク環境ではモニタの向こう側がグローバル)」ということ。オフラインのつながりは多くても数十人程度だと思うが、ゲームネットワークには同時数万とか数十万とかの人間がひしめいているわけなのだ。

つくづく「また君か。」さんは嫉妬するほどいいエントリを書く。悔しいっ・・・ビ(ry
と言うかこの差は単にゲームについて分析して色々考えてるか、感覚的に捉えているかだけの違いな気もする。実際このエントリに書かれていることは凄く私も実感していたことなのだけれど、それを深く考えようとはしなかったものなあ。

ネットワーク時代が来たことによって、否応無く「常にゲームを基盤としてヒトと繋がる」ようになった・・・それはつまり非ネットワーク時代の「同じゲームの話で盛り上がる友人との交友」とイコールである。
てのは、まあ気づいていたんだ。これは、ゲームをするリアル友人と接する機会を完全に無くしてしまった*1私にとっては実にありがたい変化だ。
ケド、これは諸刃の刃なんだよな。オンラインゲームってどうしても流行り廃りがあるから、お気に入りのゲームがあるからと言って、いつまでもそれでは遊んでいられない。Aのゲームで醸成したコミュニティは、Bというゲームが発売されたことによって簡単に崩壊してしまう。オンラインゲームを「基盤」とした今のコミュニティは、非ネットワーク時代の様に強固なモノではないのが実情なんだ。
まあそれでは悲しいので、とりあえずロストプラネットをスタンダードとしてTwitterで遊び仲間を募り、ついたったーの中で新しく360を買ったヒトにも、「とりあえずロスプラ買っておけば(用事が許す限り)いつでも皆と遊べるよ」的な流れを作ったわけなのだけれど。

つーわけで、ここ見てる360持ちついたったーはロスプラ買うといいよ!

ただ、今でも昔ながらの「技を極める一人遊びゲーム」が懐かしくもあり、欲するところでもあるわけで。これは古参ゲーマーとしての性というか、習慣的なものなのだろうなあ。
ま、やったらやったで、オンラインゲームしてるフレンドから声がかかったらそっちに行っちゃうんだけどね。ホントこの辺りは非ネットワーク時代と変わらんなあ。なんだかんだ言って他のヒトとゲームするのって楽しいんだ、ホント。

*1:引っ越したことで、私の身近にはリアル友人が皆無であり、また地元にいる彼らはゲームを止めたりしている